アクションと成果の主語は分けて考える

業務改善、企画を行うに当たって、気を付けないといけないことを考え直したい。業務改善、企画と書いたが、全てのアクション、全てのコミュニケーションにおいて重要な考え方だと思う。

それは「主語を分けて考える」ということである。何かを実行するとき、実行する人と、その実行によって変化を受ける人がいる。実行する何かは、「手段」「アウトプット」「アクション」、実行によって起こるものが「変化」「成果」「価値」「(結果として生じる)状態」である。実行する人が自分であれば、影響を与えたいターゲットが別にいる。自分が起こす行動、アウトプットによって、ターゲットの状態が変わる、価値を感じる、成果を享受するのである。言い換えると、実行することが自分が直接コントロールできる領域、成果や変化が直接コントロールできない領域である。「主語を分けて考える」とは、こういうことである。

言い換えると、「成果に目を向ける」「手段が目的になっていないか疑う」ということ。対策を実行することに思考や労力が囚われて、本質的に何を目指していたかを忘れてしまう。その対策が最適解だと固定的に考えてしまい、手段と目的、対策と成果の繋がりを疑うことを止めてしまう。常にターゲットにポジティブな変化が起きること、ポジティブな変化が起きた事実(価値)を感じることに目を向ける必要がある。

例えば、分析をするときも、「分析を資料にまとめ発表する」は単なるアクションであり、本当に注目すべきはアクションによってターゲットが「改善策を打つべきだという意志決定をする」「再度購入する」「問題・課題となるバラつきや傾向を理解する」など、変化が起きることである。「勉強会を行う」と決めた場合も「勉強会をする」は単なるアクションであり、それによって受講者が「勉強会の内容をチームメンバーに共有する」「勉強会の内容に沿ったポジティブな行動をする」が本当の狙いだろう。このようにアクションと成果・変化を分けて、アクションをすること自体を狙い満足せず、成果・変化に視点を向けて成功かどうか判断するのが大切である。

もちろん、狙っている成果や目的と施策の繋がりを自分(たち)なりに批判的に・ロジカルに考え、変化が生まれると信じ「まずはやってみよう」とアクションに移すことは非常に大事である。アイディアだけでアクションを伴わないと、何も世界に変化を与えられない。

正解が分からないから実験と検証を繰り返す、クイックにアクションをする、すぐに変化は見えないけど中長期的な投資である、などの観点は忘れてはいけない。変化や成果は、実行してみないと分からない。試験的部分的に実施する、フェーズを分けて実施することも可能だし、効果を想定することも可能である。ただ、どちらにせよ、実際に動いて初めて変化や成果が現実のものとして生まれる。

ただ、アクションは投資である。時間や人件費をかけるのである。無数のアクションがある中で、その選択肢を選んだ。時間や人件費をかけても「何も解決しなかった、もしくはそれ以下の変化しか生まれない」「変化は生まれたがまた別の問題を生み出した」だと良くない。

自分本位にならないこと、施策ありきにならないこと、価値があると確信しているなら伝えることを忘れないこと、これらが大事である。例えば、「もっと集客をするにはどうすればいいか?」という問いには、「集客をすることが良い」という前提が当たり前のこととして含まれている。

もちろん実施する前に「イベントやセミナーを実施するのが大事であり、それへの集客を上げることが重要であり効果を生み出す」と徹底的に考えられて検証もされている場合は問題ない。ただ、「あ、(何となく、他の会社もやってるし)集客した方が良さそう」など、「集客」という手段が先に来て、それに目線、思考、労力が囚われてしまうのは危険である。

また、「何となくやりたいな」「やったら良さそうだな」と思うとき、(その直感を信じることも物凄く大事なのだが、)自分本位になっていることが多い。相手の受け皿、相手が本当に求めていることを考えずに、いつの間にか「これはした方がいいでしょ」という自己満足的なものを、相手に押し付けてしまっている。なぜ大事なのかの前提をコミュニケーションすることを失念してしまっている。自分や組織が大事だと認識して実施することに意味があると信じたなら、実施すべきだと思う。ただ、「相手にどんな変化を与えられるか」「相手はどんな便益を得られてどう感じるのか」という視点、また価値や重要性、背景を伝え続けることを忘れてはいけない。

(こうやって書いてみると、「忘れることないだろう」「そんなこと気付くでしょ」と僕はふと考えがちなのだが、そんなに甘くない。僕個人的な経験として、何度も本質を見失ったし、もしかしたら今も「手段」に囚われているかもしれないし、これからも価値を言語化すること・伝えることに失敗し続ける気がする。)

上記の踏まえて、「何となく大事そう」や「変化を伝えられるか」などに関して、三つつほど大事な観点を押さえておきたい。

一つ目の大事な観点は、逆算すること。上記の通り、アクション、手段、対策が起点になるのは危険な可能性がある。課題を解決しないのであって、アクションを実施した訳ではない。アート・自己表現だと「何となく面白そう」「やりたい」が起点になるし、そのような想い・直感が結果的に偶発的に素晴らしいを生み出す可能性もある。

しかし営利を求める活動の場合、まず課題や目的がある。入ってくるお金を増やす、使うお金を減らすに繋がって、解決しないといけない”不”や到達すべき”あるべき”がある訳だ。その”あるべき”、”起こしたい変化”、“生み出したい成果”から逆算してどのようなアクションが必要か導かれるのが大事だろう。課題が先、目的が先、成果が先、イシューが先なのである。

大事な観点の二つ目は、効果の測定である。当たり前かもしれないが、実際にどんな変化や成果が生まれたか観察、測定しないといけない。精緻なものである必要はなく、ターゲットが「あ、なんかよくなったかも」と感じていればいいと思う(バイアスは排除しないといけないが)。だから、アンケートやヒアリングで生の声を聞き、ターゲットである、変化や成果の主語の人がどう変わったか、主語の人がどういう恩恵を受けたか、データを見ないといけない。

効果の測定で気にしておかないといけない観点は、改善策をハードとソフトに分けたとき、ハードは目に見えて分かりやすい。「コーヒーメーカーを全自動のメーカーに変えた」「席が足りなかったから椅子を用意した」など、(もちろん改善策と効果は別物で考えないといけないが、)設備的なもの、機械的なものは比較的分かりやすいだろう。ソフトな領域は少し難しいと思う。「ワークショップを開いてスキルを上げたい」「トップから定期的にメッセージを送って意識改革を起こしたい」など、人の見えない部分での変化を期待する場合は、本当に効果が出ているか、改善策に意味があるのかの判断・検証に、注意が必要である。

もう1つの大事な観点は、ターゲットが価値を感じているか、である。提供する側が変化や成果を感じているとしても、ターゲットが何も価値を感じていないのであれば、意味がない。「この課題が解決されたんですよ」「具体的言うと数値的にこういうが出てますよ」「継続することでこんな価値が生まれるんですよ」と、提供した・実施した(してもらう)対策に意味があるのだと、ターゲットに理解・納得してもらう必要がある。

課題感の共通認識が持てていなかったり、変化がすぐに見えず中長期の投資が必要だったり、成果がソフトな領域で数値化や実感が難しかったり、そういうことが起こるとターゲットは「あ、意味ないんだ」「続ける価値がないかも」と感じてしまう。例えば「社内コミュニケーション活性化のために全ての席をフリーアドレスに」を実施しても、そもそも社内コミュニケーションに課題を感じていない、提言者が狙っている「社内コミュニケーションのあるべき」が伝わっていない、「フリーアドレス化によって何が良くなったのか」が見えにくいなど、よく起きる。「何が課題・狙いで何が変化してどうよくなったのか」の伝え方、コミュニケーションは物凄く難しく物凄くレベルの高い熱量や技量・思考量が必要だと思う。

常にアクションと成果の主語は分けて考え、ターゲットに与えられる変化、変化の方向や量に意識を向け、その変化・価値を相手が感じられるような伝え方を身に付けていきたいと思う。

タイトルとURLをコピーしました