毎日書くことでしか磨かれない言葉への敏感さ

週末に改めて悟ったのですが、文章力を改善したいなら、毎日まとまった文章(1000字以上くらい?)書かないと行けないですね。

毎日仕事で文章を書いていたときは、思い付いた時に書いて貯めており後から投稿するという風にしていたのですが、毎日書くのと書かないのでは大きな差があるなと感じました。

どこでどういう風にそれを感じかというと、週末です。週末に、見た映画の感想の雑記のようなものをまとめたり間で本を読んだりしていたのですが、書いている最中の後半あたりで、幾つかの観点で意識的に微調整をする見え方が生まれました。例えば、簡潔かどうか。無駄なつなぎ表現はないか。一文が長すぎていないか。

例えば、リアルかどうか。「自然豊かな町」だと伝わらないイメージがあるなら、「パウダースキー、ラフティング、星が透き通る夜空」などリアルな、具体的な言葉を複数並べる。(例がいけてないかもしれないですが。)

例えば、表現したいものが伝わる適切な語彙か。今持っている感情は、「悲壮」なのか、「鬱憤」なのか、「哀愁」なのか、またはそれは「感情」なのか、「感覚」なのか、「気分」なのか。

今日ある仕事で、ある概念について200文字ずつくらいで、知ってほしいことについて書きました。(どこまでうまく書けたかはわからないですが、)単純な要約ではダメで、読者の興味を引き立てるものでないといけませんでした。なるべく文字数は削ぎ落としつつ、でも対象の概念や存在は理解ができて、かつ趣味嗜好が異なる人々に「あ、面白そう」と思ってもらえるようなリアル感・シズル感が必要でした。この修練は想像以上に骨の折れる作業でした。そして、上記を行って気付きましたが、言葉への意識が敏感になったのですね。そして、その場でのトライの回数が増えた気がしました。

語彙レベルだと「ちょっとこの言葉は違うな、じゃあこうしよう」「他に似ててピッタリの言葉はないかな調べよう」「こういう時にはまる表現を前に本で読んだな、ちょっと待ってみよう」など。文章レベルだと「ここ前後替えたほうが伝えたいこと伝わりそうだな」「語尾がスッキリしないからちょっと主張の強さを調整しよう」とか。(もっと長めの文章だと構成のレベルがもあると思います。)

今の表現にひっかかって、よりよい表現を求めようとする意識が高まって、このトライを繰り返す頻度が高まるのだなと。例えば、週1回10,000書くのと、平日毎日1,000文字各のだと、後者が圧倒的に成長できる気がします。

毎日、上記の「ひっかかってトライする」ということで、感度の程度が一定のレベルに保たれて毎日どこかで意識する状態が続くので、徐々に脳のデフォルト値が成長していくのだと思います。
多分、仕組み的には筋肉と同じなのだと思います。(文章を書くのが認知的な行為なので、その感覚に意識的になれて筋肉だと成長に気付きづらい、というのが違いかもしれないです。)

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