コミュニケーションをしていると言いたいことを全て詰め込んでしまうことがある。ロジックを綺麗に整理して、主張、根拠、前提、背景、目的、具体例、留意事項など、全てを文字や図形で出してしまう。文字をぎっしり詰めて何枚も資料を用意して一時間の打ち合わせを入れて、全てを話す。
言いたいことを全て詰め込むと、上手くいかない。人が動かない、準備した時間と成果が見合わない。自分が言いたいことを言えるかどうかは、成果と切り離して考えた方がいい。大事なのは、“伝えたか“ではなく“伝わったか“。そして、情報を伝達するだけではなく、理解して納得して動いてもらう、そこまでが大事な局面が沢山ある。
「相手に理解してもらい納得してもらい動いてもらうためには、自分の想いを必ず伝えないといけない」という前提が間違っている可能性だってある。勿論、伝えないと理解してくれない。自分からのアウトプットから相手へのインプットへ変換され相手の考えや行動に変化を起こせるという考え方も大事である。ただ、「想いを伝える」以外に手段はあると思う。
相手の話をじっくり聴くのも一つかもしれない。答えは相手の中にあって、隠れていたり整理されていなかったりするだけかもしれない。じっくり話を聞いて変化の芽を見つける。ある事象に対するポジションやその理由を理解する。行動の衝動、こだわりや囚われを見つける。
聴くだけではなくて対話するのも手段だと思う。相手に問いを投げかける。答えをじっくり聴き、相手の考えや思考パターン、好き嫌いを理解しようと努める。同時にこちらの考えも伝える。そうやって対話することで、単純な一方通行の情報伝達ではなく、双方向のアイディアの交換・理解解消のギブアンドテイクにより、アイディア、意見、概念だけではなく、お互いの人となり、思考パターン、行動原理も理解ができ、信頼と繋がり、「動いてみよう」と思えるかもしれない。
もし聴く、対話するという手段も理解した上で、伝えるということが大事だと落ち着いた場合も、言いたいことを全て伝えても何も変化を起こせない可能性がある。量、タイミング、伝え方、全てが自分本位になってしまうと、自己満足で終わってしまい人が動かず本当に達成すべきことが達成できないだろう。
コップに入った水を考えてほしい。今、水が8割入っている。受け入れられるのは2割だけだ。そんなときに、「自分が今伝えたいから」と言って、3割、4割の想い・情報を今伝えてしまうと、溢れて水が溢れてしまう。
もし3割伝えたとしても、2割分の内容をきっちりと受け止めてもらえるとは限らず、3割分の内容全てを曖昧に、中途半端に理解して、結局3割分全てが伝わっていない可能性だってある。もしかしたら最初に入っていた8割の分(その時点で相手が既に理解していた大事なこと)から溢れてしまい、以前は大事だと認識して理解できていたことが、漏れてしまうかもしれない。
伝える量、そして「それは今伝えるべきなのか」「今伝えて相手が受け止めきれるか」も考慮をしないといけない。相手が受け止めきれる容量は決まっている。自分が理解してほしいこと、自分が伝えたいことを全て詰め込んだとしても、参ってしまう可能性がある。もしかしたら、今8割埋まっていたとしても、来週になったら7割になっているかもしれない。じゃあ受け皿の準備が整うまで待てばいい。相手が受け皿を常に大きくしようとする努力も大切だし、そのためには「どうすれば容量をより速く、より大きくできるか」を指導者に導かれないといけない。
場合によっては、受け止められるようにしがみつくことを求められ、常に溢れるほどの情報や知識や考え方が与えられる状況もあるかもしれない。溢れてしまうこと自体に慣れる、溢れないように自律的に工夫する、何とかタフにしがみつく、そういうことが求められる環境もあるだろう。ただ、発信者としても、受け手としても、数々の理解してほしいこと、知ってほしいこと、納得してほしいことがある中で、今、その内容量を、その伝え方で伝えて、相手は受け止めきれるか、溢れやしないか、は持っておいて損はない視点だと思う。
量やタイミング、伝え方に関しては、不必要に準備してしまう場合もある。資料を何枚も用意し、文字を沢山詰め込み、前提と背景と目的とコンセプトと主張と根拠と具体例などを詰め込み綺麗に文字と図形で整理して、来週に一時間、数人を呼んでプレゼンテーションする。トゥーマッチな場合がある。
裏紙に手書きで、「何をしたいか」「コンセプト」だけ書いて、今、数分上司に時間をもらい、「どうですか?」と聞けば、何かが前に進むのだ。企画、改善など、量もタイミングも伝え方も、粗くていい。普段のコミュニケーションによる前提や背景や文脈の共通認識があって信頼もあるかもしれない。別に言いたいこについての言われるべきこと全てを詰め込んで、形式的にきっちりと発信する必要もない。手書き一枚で3分で合意をもらうのも、プレゼンテーションである。
最後に、発信者として、なぜ言いたいことを詰め込んでしまう落とし穴に落ちるか。そこにはエゴがあると思う。自分へのメリットだけを考え、自分が正しくあることを優先し、伝えることで自分の気持ちの発散になる、だから言いたいことを詰め込んで、自分本位の伝え方(タイミングや量や形式)になってしまうのだと思う。
「何のためか」「本当に意味で相手に伝わるにはどうしたらいいか」を考え、自分を捨てるのが大切だと思う。自分が間違っていて相手が正しくても、大義が達成されればそれでいいかもしれない。相手が間違っていることを気付いてもらうためには、自分が間違っているとまず認めることがお互いにとって最適なチョイスかもしれない。本当に何を達成したいのか、そのためにエゴを捨てられるか、そしてそれをどの程度許容し体質とできるか、が人を動かす上で重要なのだろう。
僕自身、言いたいことを相手の受け皿を気にせずに伝えてしまうことがよくあった。今でもよくある。自分の中にある想い、違和感、衝動などを発露する大切さも今度語ってみたいが、言いたいことを相手の受け皿を気にせずに自分本位で自分が正しくあることを優先して伝えてしまって本当に達成したいことを見失うのは本末転倒だと思う。その構図を理解した上で、「伝えたい」のか「伝わってほしいのか」を切り分けた上で、相手に理解して納得して動いてほしいなら、自分を捨てる、という選択を持っておいたほうが賢明だと思う。