学習と知識

僕は固有名詞に弱い。話している時に、探している固有名詞がでてこない。別の方法では描写ができる。特徴とかイメージとかで。それで伝わってしまう。でも、名詞がでてこない。

例えば、最近友人と映画の話をしていて、ある俳優の話をしていた。僕は名前がでてこず、「男性で、よく短髪でいて、国際的にも評価されていて、ソーとか殺し屋1にも出演していて、目が細めで、主役よりは、助演俳優としてのインパクトが大きいような気がしていて、演技派俳優」みたいな描写をした。ここまでは覚えているのに名前がでてこない。

探していたのは、浅野忠信である。浅野忠信を探していたのである。浅野忠信がでてこなかったのである。

最近、学習と知識についてよく考える。本読むの好きなのですが、あまり記憶していなく学びになっているのかなーと疑問に思うことがあります。すぐ忘れるし、同じような内容を前に読んだのにも関わらず、全然実践できてないな、という感じになりますし。

知識って大きく分けると2つありそうですね。学びや習得には2段階ある、と言い換えても良いかも知れないです。(でも、多分、本当は、知ってる、説明できる、使える、くらいの段階な気がします。)

形式的なやつと、深いやつ。深いやつは、血肉、身についているやつです。

形式的な知識は、話を聞く、本を読むとか。いわゆる学ぶというやつで、表面的な理解です。点のみです。

後者の血肉になるほうは、その形式的な知識ベースにそれプラスされていて、実際に使える知識です。受動的じゃなくて能動的な知識。実演や思考を通じて得られる知識。繰り返し話してみる。自分なりの解釈をしてみる。形式的なやつの繰り返し、多面的に学ぶ、連打連投、100本ノックで得られるもの。

一回説明聞いただけで形式的な知識になっていると、例えば別の言葉で表現されて本質は同じだとしても「同じ事を言ってる」ってなかなか気づきにくいです。同じ説明の仕方をされると「あ、これね!」となるかも知れないですが、ちょっと角度や表現が異なると、別のものとして捉えてしまう。これって腑に落ちていない状態だと思うのです。要は抽象化ができていない状態。個別具体でしか見れない状態。

じゃあ、点を線にするにはどうしたらいいのか、というのが大きな課題だと思います。

点を繰り返し復習・振り返りする。何度も別の表現にする。再解釈する。「ここテストにでます!」って抽象化する、グラデーション付ける。実践する。手を動かして線にする。

なかなか大変ですが、こういう地道で泥臭い考える・手を動かす作業が必要なのだろうなと思いました。

と同時に、考え方・学び方・思考力で、少しでもより早く血肉にする方法もあるはずだと思ってます。勿論、それはショートカットと呼べるものではなく、差で言うと微々たるものかも知れません。でもその微々たる思考の工夫が地道な100本ノックと組み合わさるとすごい力になるかも知れませんね。

そんな事を考えています。もし、みなさんも、学ぶ上での具体的な方法・コツ・考え方等あれば、ぜひ教えて下さい。

コメント

タイトルとURLをコピーしました