仕掛けと情緒

人に何かをしてほしいとき、思いをそのまま伝えることができる。意見を言ってほしいなら「意見を言ってください」、静かにしてほしいなら「静かにしてください」、綺麗に並べて自転車を停めてほしいなら「綺麗に並べて自転車を停めてください」。そんな風に、行動に移してほしいことをそのまま要求することができる。

ただ、人を動かすのはそんなに単純ではない。人は合理的に動いている訳でもないし、メリットや共感が無いと動かないし、「動いてくれ」と要求するだけで動きたくなるものでもない。人が行動する仕組みは、単純ではない。人に動いてほしいときに上手くいかない、もしくは人から動くことを要求されたときに動きたいと思えない、これは自然で普遍的な経験だと思う。

勿論、正論を否定している訳では全くない。正論を、意味通り、「筋が通った、道理が正しい意見なのである。どのような文脈において筋が通っているか、今この状況において道理が正しいのかなど、本当に正論かを疑う視点、そして本当に通りの正しい議論を突き詰めることは、どのレベルの活動においても重要だと思う。

そして、指揮命令系統上で、要求に応えることが責務だったり要求に応えず動かないものは認めない方針をとったり、正論が上手く機能する、正論で話すことが大事な人間関係や組織の文化は必ずあると思う。

ただ、正論が上手く働かない場合も機能も多い。動いてほしいように動いてくれない、正論の表現方法によっては信頼関係を傷付けてしまう。正論で要求される動き以外のことは期待できなくなる。動きはするものの納得まで辿り着かず、活力や自己充足感がそこにはない。正しさだけを軸にして人を動かそうとすると、内に秘めたエネルギー、能力、発想のようなものを抑圧してしまう気がする。足し算しかできない。

人に動いてもらうためには、正論だけでは十分でないと思う。「仕掛け」と「情緒」という観点で、人を動かす、ということを考えてみたい。

「ゴミを捨てないでください」と看板があるとする。看板を立てた人は、看板が目に入る人に要求をしている。看板が立っている場所にゴミを捨ててほしくない。社会通念的に正しい要求だ。でもゴミは減らない。人の行動原理では、ゴミを捨ててほしいときに「ゴミを捨ててください」と伝えるだけでは人は動かない。

ゴミを捨てないようにしてもらうにはどうするか。要求を述べるだけではなく、相手がゴミをその場所に捨てたくなくなるようなきっかけ、動機を与えないといけない。例えば小さい鳥居を置いてみる。鳥居や鳥居が象徴する神聖さから、ゴミを捨てると社会的なしきたりに反してしまう。周りにゴミを捨てるところを見られると、ばつが悪いかもしれない。捨てない動機ができる。

ゴミ箱に捨てたくなる遊びの仕掛けを置いてもいいかもしれない。例えばゴミ箱にバスケットボールのゴールを設置する。例えばゴミ箱にゴミを入れると感知され音が鳴ったり近くのディスプレイにアートが表示されたりという仕組みを置いてみる。好奇心や遊び心から、ゴミ箱にゴミを捨てたくなるかもしれない。ゴミをゴミ箱に捨てるとメリットがあり、気分が良くなる。

問題に解答するとポイントが貰える、階段にカロリー消費量が書いてある、鏡を覗くとトリックアートが見える、自販機で飲み物を買うともう一本無料で当たるルーレットが回せる、ゲームを楽しんでいたら勝手に運動になっている、ランダムでお菓子の一つの形がハートになっている、施設の色んなところに隠れてキャラクターのマークがある。全て、少しズレた間接的な動機を与えて求めている行動を促す仕掛け、遊びがある。

メッセージで情緒に訴えることもできる。「こういう理由でこうしてほしい」と単純なロジックを提供するだけでは、納得に変わらないかもしれない。「なぜ動いてほしいか」の説明だけでなく、感情をぶつける。

映画を考えてみると、映画には脚本家や監督が伝えたいメッセージ、教訓が含まれている場合がある。例えば、共感を持つこと、感情を大切にすること、不条理の中にも希望があること、などが相手に伝わってほしい映画で表現しているメッセージで、それを考えてほしい、感じてほしいとする。「不条理の中にも希望がある」と言葉でストレートに表現することができる。しかし、映画という媒体でキャラクター同士の交流や出来事の運びで余白を設けて同じメッセージを表現すると、シンプルに言葉で正論を提示するより、強い共感を持って記憶に残るはずだ。

怒りを顕にして伝える、涙しながら伝える、画像や映像で音楽と共に伝える、誠実な眼差しで表現豊かな身振り手振りと共に熱のこもった声で伝える、大義やパーパスなど人間の存在意義に触れる形で伝える。直感と感性をフル稼働させて、情緒に訴える形で伝えると、動いてくれるかもしれない。

繰り返しだが、正論やロジックを無碍にしていい訳ではない。むしろ軸には筋の通った考え方があるはず。もしかしたら正論は自分の中になくて直感的に信じたい何かかもしれない。どちらにせよ、正しさに思いを寄せるのは、とても大事だと思う。

仕掛けと情緒。正論の大切さを理解した上で、人を動かす機動力として、持っておきたい観点である。遊びや仕組みで注意や行動を誘発する、感情に訴えかける形でより心に近い部分までメッセージを届ける。自分が動きたくなるとき、人が動いているとき、きっかけは何なのか注目してみたいと思った。

ミーハーになり、人の群れができていたら仕掛けを探り、沢山の人が熱中する商品や有名人を見つけたら動機を探り、自分が特に違和感なく動いてしまっている(もしくは違和感を覚え動きたくなくなる)瞬間を集め、人を動かすための知恵を蓄えていきたいと思った。

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